光線療法の歴史

1.古代の光線療法(日光療法)

太古からほとんどの時代において、太陽は健康であるための不可欠なものとされ、病気の治療にも頻繁に使用されていました。
多くの文書ではこれを「日光療法」と書いています。

昔の時代でも民族によっては「室内で生活することを好む人たち」も存在したようです。
エジプト・ペルシャ戦争の時代、当時のペルシャ人がそのような生活スタイルだったそうで、野外を好むエジプト人とは大きな違いがありました。

戦場の調査をしたところ、エジプト人の頭蓋骨は石で叩いても割れないほど丈夫で、髪がフサフサしていたのに比べ、ペルシャ人の骨は簡単に割れ、また禿頭の人が多かったという調査結果があります。
ペルシャ人は外出する時には帽子をかぶる習慣があったのです。

ただ当時のこうした調査を皆が知っていたわけではなく、おそらく生活の体験上から誰もが太陽光線によって生かされていることを知っていたのでしょう。
そしてほとんどの時代、この太陽光線は健康のために推奨され、治療などでも使われていたようです。

さて、それでは大昔の人たちは太陽について、どのように利用し、語っていたのでしょうか?
古代の偉人たちの名言ともにみていきましょう。

B・C 3000
古代ギリシャでは日光療法を行った記録が残されています。日光浴場があり、一般の人が日光浴を好んで行ったということです。

B・C 2000
第5王朝時代、エジプト人は太陽神ラーを信仰しています。人々は盛んに日光浴・日光療法を行ったと見られる遺跡が存在するようです。

B・C  1400
インドでは日光の感受性を高める光感剤(コルタール)を塗って肌を太陽の光にさらし、白斑や感染の治療が行なわれていました。

B・C 460 ~377
現代医学の祖とされている医聖ヒポクラテス
「日光の光と熱は、全ての創傷、殊に解放性骨折、破傷風などに効果がある」
「筋肉の競争を期する人には日光浴が絶対に必要である。
しかも春夏秋冬必ずその直射を受けなければならない」
「脂肪性の肥満した人は、できるだけ裸で歩き回るのがよい」

A・D 150
外科医アンチロス
「いかなる患者もなるべく日光に当たるようにすべきである。
傷は新しい古いに関わらず日光にさらすのが良い」
「動ける患者はもとより、寝たきりか、座ることしか出来ない患者もできるだけ日光に当てなければならない」
日光浴は内臓の分泌作用が高まり、発汗を増し、筋肉を強くし、脂肪の蓄積を防ぎ、腫瘍を縮小し、浮腫を減ずる」
「また、呼吸は深く活発になるため胸部の狭い人は拡大し、肺臓を強くして肺の病気に効果をもたらす」

A・D 1000
アラビアの王室医師・アビセンナ
「十分な太陽と空気の前に疾病は起こり得ない」

以上のことから十分すぎるほどわかるように、わが人類は太古から継続して多くの時代、多くの地域で太陽光線が治療に使われていたのです。

2.近世の光線療法(科学的解明の時代へ)

自然の太陽光スペクトル分析グラフ

17世紀になると太陽光線を科学的に分析する様になります。

1672年 アイザック・ニュートンはプリズムを用いて、光が虹のさまざまな色(可視光スペクトル)からできていることを初めて発見しました。
1676年 オーリー・レーマーによって、初めて光の速度が測定されました。

1680年イギリスの工業地帯から異常な病気「くる病」が発生しました。

産業革命の始まりとともに工場が立ち並び、スモッグが蔓延する環境にあった地域の子供たちにだけに起こる病気でした。

1800年代に入ってからは世界中の医師が日光の治療特性を十分に知るようになり始めていたにもかかわらず、この「くる病」という問題は延々と続き、20世紀初頭まで250年もの間解決できなかったのです。

空気中に立ちこめる煙によって、太陽光線の中の紫外線が遮断されたためであることがやっと判明しくる病問題は解決しました。

3.近代の光線療法(めざましい躍進へ)

それでは次に太陽光線の研究がめざましい躍進の時期となった1800年代(19世紀)を見てみましょう。

1800年
ハーシェルの赤外線の発見
イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルは、太陽スペクトルの色温度を鋭敏な寒暖計(ポロメーター)を使って測定していた際に、肉眼では見えない赤色の外側で温度が上昇する事実を偶然に発見し、赤外線(Infrared ray)の存在を明らかにしました。
なお、赤外線を別称「熱線」と呼ぶのは、発見の経緯から名づけられたものです。

1801年
紫外線の発見
ドイツの医師リッターやイギリスの物理学者ウォラストンが、セーレが発見した塩化銀の紫変作用を用いて、紫色の外側にも肉眼では見えない紫外線(Ultraviolet ray)のあることを実証しました。紫外線の別称として「冷線」とか「化学線」とも言います。

1815
コービンは日光療法の適応症として、くる病、壊血病、リウマチ、麻痺、腫脹、水腫、筋力低下を挙げました。
同年ロペイルも適応症について論じていています。

1816
ドォベライナーは、日光の作用を熱線(赤外線)と、各色線(可視線)とに区別して説明しています。
その後、エーベルマイヤー、ヒルシュ、ハイリッヒなどによって、治療が着実に進められていきます。

1854年
フローレンス・ナイチンゲール
自ら志願したクリミア戦争で夜戦病院に入りきれない屋外の負傷兵の治りが早い事に彼女は気づき、あえて負傷兵を屋外に移し、治癒を早めることができました。

殺菌作用の発見

1877年
イギリスのダウンスとブラントによる、太陽光線の殺菌作用発見で、光線療法に確たる科学的根拠を与えられました。

次いでストゥレーベルによって殺菌効果の作用波長は「紫外線」であることが明らかにされます。

これにより紫外線の作用が注目され、日光療法は飛躍的な発展ししていきます。
それゆえに、ヒポクラテスを日光療法の始祖と呼ぶのに対し、ダウンスとブラントは「日光療法の父」と呼ばれています。

1880年
人工光源の発見
最初の人工光源はエジソンが1880年代に発見した照明用の電球です。
しかし、電球を光源に用いた光線療法が電光浴の名で行われたものの、放射エネルギーが低く、紫外線を含まないため光線療法の光源にはなり得ませんでした。

ニールズ・フィンゼン
1893年
デンマーク生まれのニールズ・フィンゼンNiesls Finsenは光線療法の光源として、世界で初めて太陽光線と同じスペクトル光線を強力に放射するカーボンアーク灯(フィンゼン灯)を創案しました。
このアーク灯で不治の病とされた尋常性狼瘡の治療に成功し、1903年ノーベル医学生理学賞を受賞します。

1894年
アメリカのケロック
灼熱灯を発明し、発汗作用中心の治療で成果を上げます。

1895
ドイツの医師 レントゲン
人体深部に進達する短波長の光線を発光する装置を発明し、X線の発見へと繋がります。
そして、この功績により、1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞します。

4.近現代の光線療法(日本にも導入)

1900年代(20世紀)に入ると日本にも導入されます。

20世紀初頭
ロリエ博士はスイスアルプス山中のオールモン谷のセルニャに小学校を建て、虚弱児童に対して野外教育を行いました。
そこでは天気が良ければ児童たちは携帯用の机と椅子をもって、教師は黒板と机をもって、その日の条件のもっとも良い場所に出向き、小さな帽子をかぶるだけで、ほとんど裸体で日光を浴びながら教育しました。
結果、かろうじて運ばれてきたような虚弱体質の児童でも、2,3年もすると見違えるほど強壮になったのです
身体の抵抗力は強くなり、知覚、消化吸収、呼吸、循環まですべての機能が著しく良くなりました。
これは戦後の日本でも文部省が行ったようです。文部省の場合は太陽ではなく光線器を使ったようです。

1911年
紫外線を放射するバッハ灯を発明。
大腸菌は5秒から15秒、結核菌は10秒から12秒、コレラ・チフス菌は10秒から15秒で死滅するというデータがまとめられます。

1914年
東京帝国大学医学部名誉教授・土肥慶蔵博士
バッハ灯を皮膚病の治療に導入し、日本全国の病院の皮膚科に普及させます。

1917年
アメリカの医師・ヘス
人体に紫外線を照射してビタミンDが出来るのは皮膚であること、口からの摂取と違い過剰現象は起こさないことを確認します。

1918
イギリスの医師 フィンドレー
いくら栄養を与えても日光を浴びなければ重症なクル病にかかることを動物実験で報告します。

1919
ベルリンの小児科医・クリト・ハルトシンスキー
紫外線がクル病を治すメカニズムを発見して、クル病の治療で成果を上げます。
水銀石英灯(紫外線灯)をクル病の治療に用いました。

1926年
正木不如丘博士 結核の治療
日本初の日光療法専施設を開設。
長野県諏訪郡に信州富士見高原療養所を開設して結核の治療に成果を上げます。

1927年
ローゼンハイムとウェブスター
植物中のエルゴステロールは、光でビタミンD2に変化する光化学物質であることを突き止めます。

1938年
ドイツの大学教授 アドルフ・ウィンダウス
皮下脂肪の7・デヒドロコレステロール(ビタミンD前駆物質)に紫外線が当たるとビタミンD3に変わり、強力な抗クル病作用があることを解明しノーベル化学賞を受賞します。

1958
イギリスのクレーマー(新生児重症黄疸)日光の当たる窓際のベットにいる新生児重症黄疸の赤ちゃんの症状が軽くなったことに気づき、可視光線にその効果があることを報告。それが1968年バーモンド大学ジェラルド・ルーシー博士の臨床によって確認されます。

現在の産婦人科では新生児重症黄疸に対して、青色のライトを照射して治しています。

5.現代の光線療法(太陽の代役を果たす)

最新のフォトピー光線機

19世紀から20世紀にかけて光線療法のアーク灯は登場し、治療に使われて優れた効果を発揮してきました。

そのことから、太陽光線であっても人工光線であっても、同じ波長であれば同じ作用があることがわかりました。

自然の太陽光線は医者によって活用されてきたのですが、天候が悪かったり、地域によってはチリや埃などで活用したくてもできない時間帯がありました。

しかし、人工光線のアーク灯はいつでも使いたい時に使えるという意味で画期的でした。

また必要に応じて波長ごとの作用を踏まえ、必要な波長を重点的に放射することも可能になりました。

そして現在、改良を重ねカーボンを用いた最新の光線機「フォトピー」は、太陽光線に最も似ている波長群を再現することが可能になり、同じ以上の効果を受けることができます!
太陽の代役としての使命を果たすことができるのです!

産業革命のイギリスにも代表されるように、文明の進歩に伴い人々の暮らしは激変します。
太陽光線に当たる機会は格段に減り、日中はビルの中で仕事、家の中も蛍光灯で明るさに不便はないなどの生活環境に加え、フロンガスのオゾン層破壊などが騒がれ、紫外線ひいては日光そのものを避けるなどの風潮が特に日本で起きています。

このため、驚くことに豊かな日光と栄養状況を確保できる日本で、最近くる病の赤ちゃんの出現が問題になってきました。
くる病まで行かなくても、大人も子供もビタミンD不足の人が増えていると言われています。

最近、ビタミンDの研究が進み、単に骨を丈夫にするとだけ言われてきたビタミンDが、実は筋肉を強化し、さらにあらゆる免疫活動にも関与し、脂肪を抑制するなど多くの機能にかかわっていることがわかってきています。
とくにガンを予防するということも判明されています。

日本は年々ガン患者が増え、亡くなる人が増えていますが、何の治療をするか以前に日光でビタミンDを増やすことがまず先なのです。

なかなか日光に当たる時間がない今の社会にあって、日本にはカーボン型光線器があります。
今の時代、カーボン型光線器は日本人にとっては必需品と言えるでしょう。

いかがでしたでしょうか?
古代の日光療法から現在の光線療法の形になるまでに、いかに人類が太陽の恩恵を受けこれを利用し、それが発展し現在の光線療法に至るようになったか、ご理解いただけたのではないかと思います。
このように長い歴史をもつ光線療法だからこその効果効能を是非体感してみてください。